Đọc Sách tiếng Nhật cùng AhoVN


Vì lý do bản quyền nên sau khi mọi người đăng nội dung sách bên dưới và tra cứu theo cách AhoVN đã hướng dẫn trong video đi kèm, hãy bấm nút xóa nội dung đó đi giúp AhoVN nhé. Nếu mọi người không xóa thì AhoVN sẽ xin phép được xóa trong vòng 2 ngày sau.
ご了承ご努力よろしくお願いいたします。


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9Comments

Aho rất vui nếu nhận được ý kiến đóng góp của bạn👇

  1. 昔話というのは、最初はほんの少数の人が聞き、そのなかの一人か二人がおぼえて、次の世代
    の人に話し、 そして次へと語られてきました。 同じ話でも変わってくるのが当たり前です。 聞き手の
    反応によって、 面白いところがくわしく語られ、退屈な部分は省かれ、物語としての形がととのってき
    ます。 だから面白いはずです。 でも、 教訓 (注) やお説教をつけ加え、 つまらなくしてしまう場合もある
    ようです。

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  2. Aho ơi, mình không xoá được nội dung bài đọc. Aho kiểm tra lại giúp mình nhé ạ

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    1. Tạm thời để đó khi nào cần thì bạn vào xem lại, 2 ngày sau mình xóa hộ bạn nha.

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  3. 半年程前にほぼ新品のものをこちらで譲っていただきました。
    大人用ベッドに乗せて、夜間1ヶ月程使用していました。
    タオル等を敷いて使用していましたし、お漏らしもありませんでしたが、何故かフチの辺りが変色してしまったので、写真にてご確認ください。

    専用ケースも付いており、帰省や旅行にも便利です。
    ケースにも少し汚れてしまった部分があるので、こちらも写真にてご確認ください。

    洗濯機で洗い済みです。

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  4. 本来、異なる種類の光源(たとえば太陽光と蛍光灯)のもとでは、同じイチゴでも異なる色の見え方をするはずです。ところが、私たちはふだん生活している中で、つまり太陽の光のもとで見たとき、イチゴがどんな色をしているのかを知っています。そのため、光源の色や明るさが太陽の色とは変わっても、その変化した照明のもとで見るイチゴの色を、すでに知っているイチゴの色に近づけて知覚(注)してしまう、といったことが起こります。これを色の恒常性といいますが、意識することなく行われている、視覚のみごとな仕組みのひとつです

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  5. 動物は、ふつう常温のものを食べています。ところが、ヒトは冷めた料理はおいしくないというように、常温の料理を好みません。むしろ、熱くした料理や、冷たくした料理を好みます。ヒトは、辛い味、強烈な(注)におい、熱い、冷たいなど、あらゆる手段を使って、食欲を刺激する工夫をしてきたのです。こうした言い方は、ヒトと動物のちがいを強調したものですが、べつの言い方をすれば、これが人の食文化をつくってきたのです。

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  6. ほめるという行為は、本来、自然な気持ちのあらわれです。「ほめる教育」におけるほめるという行為は、この点において異なります。自然な気持ちのあらわれなどではなく、ほかの狙いをもったきわめて意図的な行為です。
    (中略)「ほめる教育」の場合には、ほめることそのものは本来の目的ではないのです。本来の目的は、ほめることを通して相手に影響をあたえることです。相手の心と行動に影響をあたえ、やる気を出させたり、自信をもたせたり、伸びていくようにする。つまり、こちらが望んでいるような方向へ向かわせることがねらいなのです。

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  7. 冷水で顔を洗う方法は、頭をさえさせるのにいいばかりではない。寒さに強い体に鍛えるうまい方法でもある。「寒さに強い」と言う場合、寒さに耐える強さと寒さの変化に早く適応できるという強さとがあるが、この方法は後者を鍛えることになる。毎日決まった時刻に温度変化を刺激としてあたえ、それにうまく適応する条件反射をつくりあげるのである。

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  8. ものを作る過程は、本当に楽しい。「完成したときの喜び」とよく表現されるけれど、それは違うと僕は思う。そもそも、ものを作って感じることの一つは、「完成した」という瞬間がいったいいつなのかわからない、という事実である。完成したことがわかるのは、誰かに頼まれて作っているもの、つまり依頼された仕事である、そういうものは、これなら引き渡せる、要求された水準を満たしているだろう、という境界線がぼんやりとでも設定されているから、そこが「完成」になる、そしてこの場合は、労働から解放される喜びがあるし、達成感もあるだろう、レースでゴールをするのと同じだ。あそこまで走りなさい、というルールがあらかじめ設定されているからだ。しかし、自分が初めて作るもの、自分が自分の欲求で作り始めたものは、そういったゴールがはっきりとしていない、このことは、ものを作る場合以外でも同じである、たとえば、研究がそうだ。知りたいことを知ろうとする行為は、作りたいものを作ろうとする行為と限りなく似ている。好奇心に従って、こつこつと進む過程は、本当にわくわくして楽しい。けれど、どこまで進んでも、「やった!」といった達成の瞬間は訪れない。ゴールなんてどこにもない。ただ、過去を振り返って、「ああ、だいたいあのときが、完成した時期になるかな」というくらいの「一段落」が見えるだけである。

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